『愛◯心』

最近わかったが、僕は人間が好きだ。ただ、コミュニティが嫌いだ。
仲間という概念は必然的に「自分たち以外」という「敵」をつくりだす。船頭多くして船山に登るという諺もあるように、集団というものは暴走しやすい。特に似たような人間が集まったならそれは当然だ。

だから僕は「愛国心」とか「愛社精神」という概念が嫌いだ。(無論、その団体の中の各個人は好きなのだが。)その集団を崇拝することで、人の思考は偏る。
個人の幸福ではなく集団の幸福を目的とするようになった団体は危ない思想に走りがちな気がする。

第一、「愛〇心」という言葉が疑わしい。それは組織を正の側面からしか見ないことであって、そんなことをしていてばその組織が発展するなどということはありえない。
世界は常に動いている。組織の存続の為には、時代に合わなくなったものは切り捨てどんどん進んでいくことが必要なのではないだろうか。
ゆえに、「愛◯心」は革新を求めない。短所をどんどん補ってゆくことが組織のためには必要なのに、その考えに至らない。
歴史を変えてきたのは、須く社会に不満を持った人々だ。

政治家だって「私はこの国を愛しています」というより「俺はこの国が大っ嫌いだ。だから俺がこの国を変えてやる!」と言っている人の方がよほど僕は頼れそうに感じる。
生物はこれまで環境に適応し進化してきた。だから生物である人間も、きちんと短所に向きあって「進化」を目指すべきではないだろうか。