僕がボクとして生まれた理由

彼が死んで、3ヶ月が経とうとしている。

人の命は儚いものだ。改めてそう考えさせられた体験だった。

僕も、明日か明後日に、この世界からいなくなってしまうかもしれない。
普段からそんな考えが頭ををよぎるようになった。

だから、例え場違いだと思われようとも、「隠居しろよ」と思われようともRUCCにはできる限り顔を出そうと決めた。今近くにいる人を大切にしようと決めた。

この桜は、あと何回見られるんだろう。
こんなに楽しいお酒は、あと何回飲めるんだろう。
あと何人、こうやって話しかけてくれる人に出会えるんだろう。

何かあるたび、そんなふうに考える。

「なんでもないようなことが幸せだったと思う」なんてふざけてる。
気付いた時には、遅いんだ。

人生は有限だ。
明日、僕は死ぬかもしれない。
それは自殺かもしれないし、車に轢かれてかもしれない。不慮の事故かもしれないし、病気かもしれない。

死なんて、案外身近なものだ。


・・・特に、僕にとっては。


僕は去年と一昨年の就職活動で100社以上を受け、「一度も面接に通ることなく」全て落とされた。

その時はほんとに自殺しようかと思ったし、社会はクソだと思った。

僕には普通の人生は約束されていないんだと悟って、「時間を稼ぐ」ために大学院へ進んだ。そのための勉強はしたけれど、ほぼ心身膠着状態だった。

「内定をもらう学生は普通の学生」
生協で売られている『就活のバカヤロー』という本のコピーだ。

このコピーは本当に絶望的だと思う。
だって、「普通」じゃなきゃ「内定」がもらえないと明言しているのだから。

あいにく、僕は「普通」の人間じゃなかった。
吃音だし、性格はところどころ破綻し、何かが欠落している。
日本の風習にも溶け込めない。
「普通」じゃなければ人ではないような扱いをする社会に、正直嫌気が差した。


そんなわけで僕は、自分はそう長くは生きられないんだと悟った。

人と比べるのをやめて、嫌なことからは極力逃げるようにした。

そうしないと人生がもったいないと思うようになったから。


どこまで生きられるかわからない。

あと何年でタイムリミットが来るのかわからない。


・・・そんなわけで僕は、「今日」を全力で生きようと思う次第である。