タイガーマスク。

今日は去年の1月12日にツイッターに書いたタイガーマスク運動についての自分の見解が見つかったのでメモしておこうと思う。





タイガーマスクの寄付はタイガーマスクであるからこそ有益だったわけか。
動機はどうあれ、物語の持つカッコよさを利用して寄付の流れを作り出したことは非常に称賛されるべき。困っている人が考えるのは「救ってほしい」ただそれだけ。理念など関係ない。大切なのは寄付が増えたという「結果」。

無論、タイガーマスクにはもっとベターな方法(寄付の対象など)があったかもしれないし、その意味では「偽善」であるかもしれない。ただ、寄付という行動に一歩踏み出したのは称賛に値するし、こうすれば人が動くという前例をつくったことは後の世に有益だろう。

結果を出せばそれでいい、という理論は僕も好きではないし、そもそも「孤児に寄付をするのは善」という価値観や方法を作った前人の行動を無視すべきではない。だが、偶然であっても、例えば強盗犯人を捕まえた人は称賛は得るべきだし、それによって善行の輪が広がるのは望ましい。そういうことだろう。

アンパンマンの心に「悪」という概念が存在するのだとしたら。

アンパンマンの正義は「飢えた人にパンを与えること」であるから、彼にとっての悪とは、「飽食を貪り、飢える人々のことを思わないこと」、つまり先進国に生きる我々を指しているとも言え、彼は我々の援助よって世界の飢餓を根絶することを求めていると解釈できるね。最も正義の押し付けとは一般的に悪であり、博愛主義を貫き、完全な正義の存在として生まれている彼がそれを望むのかは定かではないけど。

http://ow.ly/73199


ふむ。いい話だね。
・・だけど問題は長い人生の中で「自分にとって大切なもの」の順位が不変ではないことなんだよね。

人の価値観は変わるし、信じていたものに裏切られることもある。常識がウソだったって気づくこともあるし、大きな事件や事故にあって性格が一変するかもしれない。結婚など人生の転機を迎えることでも「何が大切か」は大きく変化していく。

何が大切か、ってことは常に念頭に置いて、「壺」に入れる優先順位はその都度細かく入れ替えていく必要があるんじゃないかな、って僕は思うよ。

僕は、この4ヶ月間、週に一度、「全国知事・リレー講義」というものを受けてきたが、そこで感じたことを綴ってみようと思う。テストの予行演習も兼ねて。

僕が幾人もの市長の話を聞いて改めて感じたのは、「民主制」の重要性だ。日本には、国があり、地方があり、そして市民がいるが、我々市民がどれだけ「自分は政治に参加している」と思っているかが、今、重要になってきているのだと思われる。

千葉市熊谷市長は、「例えば千葉市はゴミ処理に年間150億を投じている。これを市民の努力によって一割削減できれば、15億もの予算が浮くことになる」と語っていた。その浮いた15億を、社会保障や福祉に回せれば、我々の生活はもっと豊かになるかも知れない。

また、京都市長も同じように、「ドブ掃除や公衆トイレの掃除をいちいち市役所に頼んでくる人がいるが、市役所の公務員は市民の税金によって働いていることを自覚してほしい。そのような市民が自ら取り組める事柄を自分たちでやることでもっと有益な税金の使い方ができるのではないか?」とも語っていた

我々はどこかの市民であり、税金を払っている。「減税」を叫ぶ前に、そのことを自覚し、自分たちにとっても有益に税金を使う方法について考えるべきであろうかと思う。

また、これまでの高度経済成長を続けていた日本は、ただ先進国の施策を真似、方法を追随するだけでよかったかもしれない。しかし今や自らも先進国となった日本にとって、先を示すべき指標は無いのである。
ゆえに、これまで「国がやること」「地方がやること」「市民がやること」と暗黙に決められていた境界を取り払い、より包括的な活動をおこなえるようにするべきではないだろうか?

そしてそこにはもちろん「市民」も関わってくる。国や地方など、大きな団体では目の届かない問題を発見し、解決策を模索するのも市民の役割ではないかと私は考える。

「〇〇系」

「〇〇系男子」「●型」「△座」「□□□系ファッション」「〇〇と同じグループ」

グルーピング。

・・・あなたは他人が怖いんでしょう?
だから過剰に興味をもつ。考える。
そうやって、他人を自分の作った枠におさめて、分類して、「わかったつもり」
「理解したつもり」になっていないと耐えられない。
あなたは、怖くてたまらないんでしょう?
人が。人の本性が。
「わたしはあなたのすることなんてお見通し」
そうやって、勝手に優越感に浸って、必死で逃げようとしている。
本当の「わたし」から。
そして、本当の「あなた」から。

メモ集

●自分の目の前にあることに対して苦痛を覚えずに努力できる人間は幸せだと思う。

●自由、平等、約束…美しい言葉だ。だからこそ、そういった言葉を口にする人間には注意しなけれなならない。

家庭内害虫との戦い。

4月27日(水)午後11時39分。下宿の台所に家庭内害虫が出現した。
僕は思わず「イャホウゥエーーィ」という声にならない叫びを上げた後、とにかくまず殺虫剤で彼を殺害しようと思い立った。しかし、こんな時に限って殺虫剤のボトルは見つからない。まあ、最後に使ったのが半年以上前なので、当然といえば当然なのだが。しかし、殺虫剤がないからといってあきらめることもできない。なんとしてでも彼を殺害しないことには安心して床につくこともできないのだから。そして僕が次に思い立ったのは「新聞紙で叩き殺す」という方法だった。だが、肝心の新聞紙など、先月で新聞を断った我が下宿になどあるはずがない。だって当初はこないだの3月で卒業するつもりだったんだもん。何か叩くものを…とあたりを見回す僕の目に飛び込んできたのは、この間書類で落とされた某大企業の無駄に分厚いパンフレットだった。具体的に何をしている会社だったかはさっぱりわすれてしまったが説明会に来た人事がまさに日本式大企業の奢りを象徴したようなイヤミな人物だったことははっきりと憶えている。僕は一瞬の迷いもなくそのパンフを手に取り、ゴ◯ブリに対して振り下ろした。振り下ろす瞬間に人事の顔が浮かんだのは多分気のせいだろう。「バシィン」という破裂音が響く。どうやら直撃したようだ。彼は裏返り、己の体液にまみれてまだ小刻みに足を動かしている。もう少しだ。たぶんポケモンだったら「ピコンピコン」という瀕死直前のアラートが鳴り響いているほどだろう。僕は渾身の力を込めてトドメの一撃を振り下ろした。今度は「バシン」というよりは「グチャッ」という音に近かった。彼は完全に原型を留めておらず、今度こそ息絶えたようだった。


・・・さて、これから彼の亡骸と凶器をどう処理しようかな。